「愚痴らせろ。私みたいな人もいるんだぞ。」っていう思いでネットを始めた。「不登校で学校サボってるけどサボってるなりに辛いんだぞ。」みたいなことを訴えたかった。暗いことも批判を気にせず書いた。そうして数ヶ月が過ぎ、次第に愚痴りたいと思う気分は失せてきた。誰かと趣味などの共通の話題を気楽に楽しむ毎日のほうが良いと思った。でも最近はまた、最初に思っていた「愚痴らせろ」という気分になることが増えてきた。
でも今は、「昔みたいに愚痴ったり悲観的なことを書くと嫌われたり引かれたりするんじゃないか」という思いが先行している。楽しい毎日を送っていた頃に知り合った人は、私の暗い重い部分を知らないので、それを見られるとどう思われるのかが怖い。結局ブログやツイッターに暗いことをたまに書いているのだが、これでも書き足りないくらいで、ずっと吐き出したいことを貯めている。

私の悪夢さん

最近Twitterで夢の記録をつけ出した。内容が面白かったり、自分のトラウマが夢に出てきたりして興味深いので、忘れるのが勿体無いと思ったから。でも、だんだんと夢と現実、どっちだっけと思うことが増えてきた。
漫画で夢日記をつけている主人公が夢と現実がごっちゃになるというものがあったが、多少なりともそういうのはあるんだなあと思った。以下はごっちゃになった例。


・高校の同級生から「ゴールデンウィーク中にみんなでボウリングするんだ。奢るから来いよ。」とメールがあった。
・専門の親しい友人から「元気?」と連絡があった。
・専門の時の同級生と思われる人から匿名で長文の罵倒メールが送られてきた。
・悩みを共有している人からTwitterのリプライで名前を呼ばれた。
・父の会社の社長さんが家に来てくれた。
など


これらのことが、夢か現実かの区別がつかなかった。
ボウリングメールは本当だった。数ヶ月前に「あなた達に迷惑をかけすぎるので私のことは忘れて」と言ってそれ以来連絡をしていない人だった。返事はしていない。
専門の親しい友人から元気かどうかの連絡も本当だった。どう返せばいいのかわからないので返事はしていない。
匿名の罵倒メールもなかった。よく考えれば中学の頃に受けた虐めとよく似ていた。5年以上経っていてもトラウマとして夢に出てくるらしい。
Twitterで名前を呼ばれた痕跡はなかった。夢だったらしい。
父の会社の社長さんが来てくれた事実はなかったが、来る予定だということは本当だった。社長さんが来たというのが夢だとわかった時、じゃあ来ることも夢なんだと思ったけどそうではなかった。


現実だと信じこむのではなく、「あれ、どっちだっけ」という疑問なので人に聞けば確認はできるのだが、この現象はなんとなく面白い。
さすがにマグロに食われそうになったことを現実と混同しないので大丈夫。

虫を殺すより自分を変えるという方法

父は今、病気に苦しんでいます。耳鼻科分野の病気なのでそういう病院には行っているのですが、病気の原因は過度なストレスなので、母は「精神科やカウンセリングに行ったら?」とアドバイスしたらしいのですが、「精神科に行ったところで根本(の職場環境や人間関係)が解決するわけじゃない」と言われたそうです。
そんな話をしていたことを母から聞き、精神科やカウンセリングにお世話になっている自分としてはなんとなくモヤモヤとしたものが残りました。なので、なんとなく、思ってことを母に言ってみました。


「たとえばさ、虫が嫌いな人が、虫がたくさんいるような、たとえばジャングルとかに行っても、その虫嫌いな人は嫌だなーって、ストレスを感じるよね。虫なんていなければいいのにと思うかもしれない。じゃあ悪いのは虫?全ての虫を殺すような薬でも開発すればいい?
でもその前に、虫嫌いを克服すればさ、ジャングルへ行っても多くのストレスは感じないはずだよね。問題の根本ってさ、虫じゃなくて考え方で、その考え方を少しずつ変えていくことで生きやすく、過ごしやすくなるんじゃないかな」と。


私も虫嫌いを克服している最中なのです。
不登校になったり、小児うつになったり、今まで自分には色々とうまくいかないことが多くありました。でもそれは学校や社会のせいじゃない。自分の考え方を変えれば生きやすく、過ごしやすくなれるのではと思い、精神科やカウンセリングに通っています。
自分は病院へ行き、先生と話して「あなたはきっとよくなるよ。そのために僕に時間をちょうだいね」と言ってもらっています。カウンセリングで「よくできたね。次はこう考えるようにしたらもっと楽になるんじゃないかな」とアドバイスをもらっています。


病院やカウンセリングとか、そんなんを使っていくまでもなくても、「まわりじゃなくて自分を変える」っていう方法はありだと思うんだよな。
「自分が変わったらもう自分でなくなるのでは」って思うかもしれないけど、……っていうか自分も思ったことあるけど、何があろうとどういう性格になろうと、生きやすければそれでいいし、何があろうとどうであろうと自分は自分、あなたはあなただと思うの。そう思ってくれる人もいると思うの。

なにを書けばいい

ネットを見ると、テレビやアニメの話や動画サイトの有名人の話など、自分にはついていけなくなってしまっている話題が飛び交い、よく誰かと会う約束をしている人や日常をありのままにしている人など、眩しい日々を過ごしている人が映る。
現実を見ると、ずっとずっと狭い1軒の家で過ごし、数週間に一度病院に行くしかしない日々が待っている自分がいる。自分を責める気持ちをを「自宅療養中だから」という言葉でなだめられ、誰もいない昼下がりに犬と一緒に寝転がり、天井を見る。
ネットでの繋がりを留めるため、少しでも楽しく過ごすためにネットを見るが、自分から何を発信すればいいのかがわからない。一日中家で過ごしているので、変化のない毎日で書くことなどそんなにない。
自分の思ったことを書けばまたやんわりと批判される気がする。精神科に通う自分の発言は嫌われないか?以前と違う発言に不信感を抱かないか?馬鹿にされないか?そんなことを思い、ネット上で発現する回数が少なくなった。
少し前に自分と少し似た悩みがある人と会話し、話せたことに嬉しさを覚えたが、みんながみんな、あの人のように理解してくれるとは限らないだろう。

なんか書いたけどタイトルに困るよね。だーっと書いてエンターキー押して、あとはもうしーらない。

知り合いになった人に、随分しんどい思いをしたり、心が沈んで病院に行ったりしていた人がいる。1人や2人じゃない数いる。結構いる。意外といる。
みんな全然そんな過去は見えなくて、その中には今を明るく過ごしている人がたくさん。
私がしんどい時には色んな人が心配してくれて、辛かった過去を話してくれた人がいた。
そんな中で少し思ったことがある。


頼っていいんです。
ということ。
なんとなく、何人かの人を思い浮かべながら言ってます。


私は、母に頼ることができました。
外に出て病院へ踏み出すことはできました。
カウンセリングに行ってカウンセラーに話すことができました。
親が出す、病院やカウンセリングの費用のことを考えて自分のことを責めずにいられてます。
何人かに、自分のことを話すことができました。
何人か、自分のことを私に話してくれる人がいました。
人によっては、こんなこと普通のことに思うこともあるかもしれません。
でも私にとっては、少し前と比べるとすごい進歩です。
人と比べても仕方ありません。
そう思うようにしています。


いえーい。

新型うつ病と医者に言われました。

新型うつ病。常に憂鬱な気分が続く大うつ病とは違い、落ち込むこともあるが好きなことには楽しくなれるので、「怠けなのではないか」と言われることもある病気。比較的、若い人、女性に多い。


私も医者からこの病気を言われる前は、病気とかじゃなくて自分の性格が悪いんだと思ってて、自分のことをどうしようもない駄目人間なんだと思っていた。今も思ってるけど、少しは病気のせいでもあるんだと思えた。
19歳の私だけど、10歳の頃からずっと不登校だったり、最近は専門学校をやめたりして、抑うつ状態は結構長い間あった。だから自分のことを知りたくて、精神的な病気を中心に色々な病気を調べていたし、そういう本も何冊か持ってるけど、まさか自分が新型うつと言われるとは思わなかった。


新型うつ病は大うつ病とは違う症状があって、本やネットで何十回とその違いの説明を見たけど、私の症状はどちらにも当てはまらないと思った。というか、どちらにも当てはまったのでどっちでもないと思った。
うつ病は、好きなこともやる気が起きない、主に午前中に調子が悪い、頭の回転が鈍る、不眠傾向、食欲低下などの症状。
新型うつ病は、好きなことは楽しめる、主に夕方から夜に調子が悪い、落ち込むだけじゃなくイライラもする、仮眠傾向、食欲増加などの症状。


私は、好きなことをやっても続かない。生活リズムが狂っていたけど起床から数時間は体調が悪い。イライラすることが増えた、どちらかというと仮眠傾向で、食事はあまりとらなかった。この5項目の中では2つしか新型うつの症状に当てはまらない気がした。
こじつけかもしれないけど、昔からの自律神経失調症の症状や拒食傾向、注意力の散漫などでこの症状が隠れていたのかもなと思う。


今は薬を飲みつつ、カウンセリングを続けようかと思っているところ。
薬は副作用が辛くて大変だけど、少しずつマシになってきているので続けているうちに辛くなくなるのを願う。
カウンセリングはすごくいい。1年前にも4ヶ月ほど毎週カウンセリングに通っていたけど、カウンセラーが色々なことを聞き出してくれて、心を落ち着かせてくれて、悲観せずに自分を見つめる機会が増えた。薬よりも効果があったように思う。今も久々にまだ始めたばっかりだけど自分を責める気持ちがだいぶ抑えられた。


早く楽になって現状から脱せればいいな。焦りは良くないんだけど。

だったら私じゃない

私「うちが考えるのをやめたらうちじゃなくなる気がする。考えるのをやめたら和泉さんのアイデンティティが失われる気がする。でも先生にはあまり考えるのを推奨されてない」
母「あんまり考えすぎるなって言われたもんな」
私「あらゆる人に言われる」
母「あのさ、アイデンティティとかステータスとか、難しい言葉ママあんまりわからへんわ」
私「うーん、パパが『酒や女や』って言ってたらパパじゃないやん」
母「うん」
私「井脇ノブ子がピンクじゃなかったら井脇ノブ子じゃないやん」
母「その例えよくわからへんけど」
私「浜口親子の父親がおとなしかったら浜口父は浜口父じゃないやん」
母「ああ」
私「それと同じで、考えない和泉さんは和泉さんじゃない気がする」
母「あ、テレビ、この人、今年の目標『ゆるポジ』とか言うてはる。」
私「ポジティブとかうちと縁遠い世界や」
母「そうか?」
私「ポジティブなうちとかうちじゃないやん。ネガティブがうちにぴったりや。……」
母「あれ?新聞どこや。あ、あったあった。」
私「……ん?」
母「ん?」
私「ポジティブな和泉さんも和泉さんな気がする」
母「うん」
私「なあ、どんなうちでもうちはうちやんな。ポジティブな和泉さんもちゃんと和泉さんやし、考えない和泉さんもちゃんと和泉さんやんな」
母「せやで。どんな和泉でも、和泉ちゃんは和泉ちゃんやで」
私「うん。なんか今までうちがうちじゃない気がするとか言ってたんがアホらしくなってきた」
母「せやで」
私「何変なこと言っててんやろ。アホや」
母「アホでええんちゃう」
私「そやな。あ、ママ仕事、時間、大丈夫?」
母「あ、行かな」
私「いってらっしゃい」
母「いってきます」