ゆめのはなし。

昼寝して夢を見ました。以下、夢の話。


小学生の頃のクラスメイト数人と遊んだ。今まで何年もそんな機会はなかったのに、何かの縁が重なった。私たちで地元の古い家屋へ入ると、ひとりの大人と、私と同年代くらいの男の人が3人ほどいた。よく見ると大人の方は小学生時代の先生で、男の人の方は、これまたみんな小学生の頃のクラスメイトだった。自然と一緒に遊ぼうという話になり、学校の先生は監視役で、私たちクラスメイトは小学校のまわりを走り回りながら遊んだ。するとまた小学生の頃のクラスメイトがひとり、もうひとりと遊びの仲間に加わっていった。偶然私たちを見かけたらしい。
しばらくして、小学校の校庭に入って見ようということになり、先生とみんなで行ってみると、学校の敷地内にクラスメイトが何十人もいた。驚くことに、これで50人ほどいた私たちの学年のみんなが全員集まったことになった。これまた偶然だねと再開を喜び、時間がたつのを忘れ、目一杯遊んだ。かけっこをしたり、だるまさんがころんだをしたり、各々好きなことで遊んだ。
そろそろ空がオレンジ色になるころ、今何時かなと時計を見ると、PM8:37の文字。そこで異変に気づく。たとえ夏の日が長い時間でも、この場所で夜の8時に夕焼けが見えることはない。友達の携帯電話や腕時計を見せてもらっても、時間の表示は私と同じだった。私はおかしいな、と思い、その中で唯一の大人である先生に相談しに行った。先生は「気にすることなんてないよ。もっと遊びなさい」と優しく微笑みながら言った。私は腑に落ちないながらも「そうですか」と言い、元いた場所に戻った。先生にそう言われたものの、これは何かがおかしいんじゃないかと友達と話した。数人は何かがおかしいことに気付いたようだった。時間以外にも、何かがおかしい気がすると思っていた。しかし何が変なのかは誰も言葉にできなかった。
そして不思議なことに、これだけの異変を感じつつ、誰も学校から出て帰ろうとする者は私を含めひとりもいなかった。私たちは何かしらのことを学校の敷地内でしていた。遊びに飽きたクラスメイトの中には、する必要もないのに、「掃除面倒だね」と言いながら竹箒を持っている人もいた。
空も暗くなった。また時間を確認した。AM2:00。時間を忘れて遊んでいたとしても、時間は進み過ぎだし、こんな時間にクラスのみんなが一人残らず学校に留まっている。これはもう本格的におかしいぞという話になり、先生に相談した。先生はまた微笑みながら「大丈夫。気にすることなんてない」と言った。その先生の顔を見て私ははっとして先生に言った。
「この人、誰だ」と。


よく考えれば見覚えなんてなかった。みんな小学生の頃の先生だと認識していたし、私も認識していたけど、この時にやっと気付いた。この中にいる唯一の大人である先生とは一度も会ったこともなかった。
私が先生を疑った途端、やっと今まで感じていた異変を言葉にすることができた。小学生のクラスメイトが偶然集まるわけがないじゃないか。20〜21歳の年の人が集まってみんなでかけっこなんてするわけないじゃないか。義務でもないのに掃除なんてしなくていいじゃないか。時間が気になるなら家に帰ればいいじゃないか。
そして先生は何も言わず、私の目の前ですっと消えた。そして急に空が明るくなった。


先生が消えたということは、クラスメイトも先生と同じように幻のようなものだったんだろうかとまわりを見渡すと、クラスメイトはちゃんと全員いた。みんな「そろそろ帰ろうかな」と言い出していた。私もそうしようと言い、学校から出た。時間が気になったが、なぜか時間を見るのが怖かったので携帯電話は取り出さなかった。時間はたっているんだろうか。一晩が過ぎていたとしたら、家に帰って怒られやしないだろうか。そんなことを考えつつ、私は家に向かった。


ここで目が覚めた。

むきあう

私は小4〜中3まで学校に行かなかったんだけど
それに対しての罪悪感や、それとは違うモヤモヤした感情をずっと持っていた。
でも、少し時間がたって、ずっと暗かった気持ちが穏やかになってきて
高2くらいになって友達と楽しく遊べるようになったとき、
完全に小、中学生の自分とサヨナラできたと思っていた。


でも、高校の終わりになって心が沈んできた時、
学校に行かなかった時のことばかり思い出すようになった。
その時からカウンセリングに行き始め、
昔のことを誰かに話すようになって、改めて当時の自分と向き合った。
自分でもわからなかった感情をカウンセラーさんに助けられながら言葉にしていって、
以前よりさらに昔の自分を受け入れることができた。
昔は、学校に行かなかった時のことを
「自分には必要な試練だったんだ」と思うようにしていて
一方、心のどこかで「甘え」だとか「怠け」だとか
「もうちょっと頑張っていれば」とか思っていたけど、
それが日を重ねるごとに少しずつ和らいでいって、また心も穏やかになってきた。
それが高校を卒業するころ。


でも専門学校をやめた1年ほど前、また昔のことを思い出すようになった。
今度は誰かに話すだけじゃなく、色んな本を読んだ。
精神科医から見た病気の人の話、病気だった人の体験談などを読んで、
自分の幼少の時の家族との距離感や、当時の状況を思い出して、
「心がおかしくなってもしょうがない状況だったんだ
そしてそれは私でも親でも誰のせいでもなく、偶然が重なったことなんだ」
と思うようになった。
というか、この言葉を前から思っていたけど、
以前より強く信じられるようになった。


時間が解決するという言葉もあるけど、
出来事と向き合ったり、人に話したり、誰かの意見を聞いたり、
専門家の意見を聞いたり、経験者の話を聞いたり、
そういうことをしないと
なかなか心が穏やかになってくれないこともあるんだなって思いました。
その出来事と向き合っている間は心がざわついたりすることもあったけど
それもたぶん、大事なことなんだよね。


最後に自分のメモ代わりに、読んだ本を紹介。
●特に読んだ本
・『家族依存症』斎藤学
・『「子どものうつ」に気づけない!』傳田健三
・『マイナス思考と上手につきあう 認知療法トレーニング・ブック』竹田 伸也
『マイナス思考と〜』の本は裏表紙を見るだけでも参考になる本。
とてもかわいいイラストをつかってわかりやすく表現されている。
このほか、こどものうつに関する本、不安障害に関する本、
心理学の本、マインドフルネスに関する本など色々読みました。
親に見つかったら恥ずかしいとか思ってたけど、
Amazonで頼んで、ダンボールごと自室に持っていけば何の問題もないね。

無題2

数少ない、私の地元の友人が働き出した。
また、同い年の友人も卒業後の職を見据えて学校に行った。
まわりは仕事という未来を見据えつつ歩んでいく。
同い年の、そして自分と近しい人の行動を見て、私は焦ってしまった。

私は、人と会ったときに、何をどうしていいか涙がでるほどに考えてしまったり
何かをするときに体を壊してしまうくらいまで頑張ってしまったりしている。

こんな私が先を見るのはまだ早い。
歩くこともできないのに、とても長い長い距離を走りたがっている幼児のよう。
みんなができていることを、自分はできていないみたい。
みんながしないでもいいことを、自分は必要以上にしているみたい。
まずはどんなに自堕落な生活だとしても、
不安になってばかりの生活から抜け出すことが必要。
でも、そんな生活は小学生の時から続いている。
時々、自分はずっとこのままなのではないかと考えて絶望する。


3リットルほどの涙と引き換えに、
このよくわからない漠然とした不安感を消し去ってもらえないでしょうか。
この厄介な不安感と、私は10年ほど付き合っているんです。
いい加減、お別れしたいのですが、駄目でしょうか。
もう、私は駄目なのでしょうか。

無題

生きることを放棄したくなったら未来に希望なんか持てなくて、
ドブ水に入ったままでいいやと諦めてたらいつまでたってもドブに入ったまま。
この先どうなるかわからないけど、
良い人生歩んでいって長生きしたら、素敵なおばあちゃんになれるはず。
いつか素敵なおばあちゃんになります。生き続けます。

わたしのこころの黄色信号

自分の精神状態を把握して、生活していくうちにその状態が少しでも危ないなと思ったら
精神状態をいい方向に持っていくように努める練習をしなければね。
黄色信号が出たら気をつけなきゃいけないね。少しでもいい状態にしていこう。
という話を知人とした。


そして今、少し精神状態がそんなによろしくないのだけど
今の状態から軌道修正していい方向に持って行こうという気持ちになれない。
むしろこのまま悪化させて
そして誰かに気付いてもらって「大丈夫?」の一声でもかけてもらいたい気分。
どうせ自分は欠点だらけなのだから
病人として扱われて、私の駄目っぷりを隠したい。
そう考えてしまう私を叱ってください。

やることなすこと中途半端

かばんを作るために裁縫を始めました。
物語を作っている人の頭のなかが気になって
『ミステリーの書き方』など、物語を作る人用の本を買い、読み始めました。
気になる小説があったので、本を買い、読み始めました。
webに興味を持ち、プログラミングを始めようとPHPなどをインストールしました。


と、最近いろんな事に手を出していますが、同じ作業を続けられなくて
どれもが中途半端で、どれもやっていないのと大差ないです。
何かに長けている人に憧れますが、そこまでの努力をしようとしない自分。
以前に比べて集中できる時間が短くなったように思います。なぜなのでしょうね。
ここ数日はびっくりするくらい頭が混乱してて
天井を見つめるだけで時がたってしまいます。
三日坊主どころか、何もしてない。