言いたいことなんてない。

多少の気分の浮き沈みはあれど元気です。
はい。今回の記事のメインは言い終わりました。
「作者の最も伝えたかったことは何でしょう。次から選べ」で答えになるやつです。
言い終わったので私は寝ます。
それではさようなら。
というわけにはいかない。
それでいこうとも思ったけど、Twitterでメインに活動している私としては
「それ140文字以下だからそっちでやれよ」感が出てしまうのです。
だれも思わないかもしれませんが、私がそう思ってしまうのです。
ということで、ブログ書きます。


最近日記をはじめましてね。
このブログも日記みたいなものですが
それとは別に大学ノートに数行書くという作業をはじめました。
書くのは主に体調のことで、病院で答えやすいようになんですけどね。
このブログも
「日記って読まれることを前提としていませんよね。そういうことです。」
とか紹介しながら、読まれることはバリバリ前提にしてるんですよね。
見られるって怖い。
見られることを気にしすぎとかプライド捨てようとか同じ人から数度言われたのですが
私にも自覚はあって、でもそれを直す方法がわからないのですね。


最近病院を変えて、日記書いて、それを通して色んなことを自覚し始めて、
ちょっとは自分も変わってきたのかなと思ったのですが
本当に「ちょっと」です。微々たるもんです。
っていうかさっきからタイプミスが多すぎるんですが、パソコン触ってなさすぎですかね。
タイピングというものをしていないからですかね。
ちょっとアウトプットしようと思ったけど
手がもたもたして思考と手が追いつかなくて断念したという回数これまでに2回。
ようやく私はブログを書いてます。
ええ。ブログを書きました。
今回言いたかったこと、これかもしれん。「ブログ書きました」や。
あれ、冒頭に言ったことと違う。


さて、このブログ記事で灰原が伝えたかったことは何でしょう。答えはCMの後!
(ここから一生CMが流れる。)

親しげな会話

姉が楽しげに電話しているのを横で聞いていて、私はすごく羨ましいと思った。私の直ぐ側で電話をしているので相手の声も少しだけ漏れて聞こえるのだが、相手は男性らしい。姉は相手には敬語であるが、親しげに話をしていた。姉は現状報告や相談などをしており、相手はそれについて色々とアドバイスしているようだった。そういったやりとりを聞き、数十分の電話の時間をずっと羨ましい羨ましいと思っていて、電話を終えた姉に私が相手の人のことを「いい人そうだね」と言ったら、姉は面倒くさそうに「話長いねん」と言った。あの楽しそうな電話は嘘らしかった。
なんだろうな。自分は話す相手すらいないから、その姉の一言にものすごくもやもやしたのだけど、実際学校などへ行ってなんやかんやと過ごしていたら裏表使い分けることも必要になってくるんだろう。実際私もちょっと前はそういうことをしてきた。でも親しげに楽しそうに、自分のことで色々と考えてくれている人がいるのに腹の中では面倒だと思っていたことにちょっと残念な気持ちになった。
多分、無い物ねだりなんだろう。私には今、話す相手すらいないからこう思うんだろう。いや、決して無い物ねだりなんかじゃないし話す相手もいるんだけど、自分から誘うのが怖いから、無い物ねだりということにしてるんだろう。
Skypeを使い始めてから自分で誘ったことなんて数えるほどしかないし、その数えるほどでさえ、Twitterで相手の様子をうかがい、なんとなくお互い近づいていって、結果「話そう」と切り出したのがたまたま私であっただけ。顔を見かけたらすぐ「よっ!時間空いてる?」と元気よく話しかける、みたいなことができないのだ。
姉を羨ましいと思ったんだけど、あの感じを私もしたいと思ったんだけど、時々話す気分になれないのはなんでだろうな。

「愚痴らせろ。私みたいな人もいるんだぞ。」っていう思いでネットを始めた。「不登校で学校サボってるけどサボってるなりに辛いんだぞ。」みたいなことを訴えたかった。暗いことも批判を気にせず書いた。そうして数ヶ月が過ぎ、次第に愚痴りたいと思う気分は失せてきた。誰かと趣味などの共通の話題を気楽に楽しむ毎日のほうが良いと思った。でも最近はまた、最初に思っていた「愚痴らせろ」という気分になることが増えてきた。
でも今は、「昔みたいに愚痴ったり悲観的なことを書くと嫌われたり引かれたりするんじゃないか」という思いが先行している。楽しい毎日を送っていた頃に知り合った人は、私の暗い重い部分を知らないので、それを見られるとどう思われるのかが怖い。結局ブログやツイッターに暗いことをたまに書いているのだが、これでも書き足りないくらいで、ずっと吐き出したいことを貯めている。

私の悪夢さん

最近Twitterで夢の記録をつけ出した。内容が面白かったり、自分のトラウマが夢に出てきたりして興味深いので、忘れるのが勿体無いと思ったから。でも、だんだんと夢と現実、どっちだっけと思うことが増えてきた。
漫画で夢日記をつけている主人公が夢と現実がごっちゃになるというものがあったが、多少なりともそういうのはあるんだなあと思った。以下はごっちゃになった例。


・高校の同級生から「ゴールデンウィーク中にみんなでボウリングするんだ。奢るから来いよ。」とメールがあった。
・専門の親しい友人から「元気?」と連絡があった。
・専門の時の同級生と思われる人から匿名で長文の罵倒メールが送られてきた。
・悩みを共有している人からTwitterのリプライで名前を呼ばれた。
・父の会社の社長さんが家に来てくれた。
など


これらのことが、夢か現実かの区別がつかなかった。
ボウリングメールは本当だった。数ヶ月前に「あなた達に迷惑をかけすぎるので私のことは忘れて」と言ってそれ以来連絡をしていない人だった。返事はしていない。
専門の親しい友人から元気かどうかの連絡も本当だった。どう返せばいいのかわからないので返事はしていない。
匿名の罵倒メールもなかった。よく考えれば中学の頃に受けた虐めとよく似ていた。5年以上経っていてもトラウマとして夢に出てくるらしい。
Twitterで名前を呼ばれた痕跡はなかった。夢だったらしい。
父の会社の社長さんが来てくれた事実はなかったが、来る予定だということは本当だった。社長さんが来たというのが夢だとわかった時、じゃあ来ることも夢なんだと思ったけどそうではなかった。


現実だと信じこむのではなく、「あれ、どっちだっけ」という疑問なので人に聞けば確認はできるのだが、この現象はなんとなく面白い。
さすがにマグロに食われそうになったことを現実と混同しないので大丈夫。

虫を殺すより自分を変えるという方法

父は今、病気に苦しんでいます。耳鼻科分野の病気なのでそういう病院には行っているのですが、病気の原因は過度なストレスなので、母は「精神科やカウンセリングに行ったら?」とアドバイスしたらしいのですが、「精神科に行ったところで根本(の職場環境や人間関係)が解決するわけじゃない」と言われたそうです。
そんな話をしていたことを母から聞き、精神科やカウンセリングにお世話になっている自分としてはなんとなくモヤモヤとしたものが残りました。なので、なんとなく、思ってことを母に言ってみました。


「たとえばさ、虫が嫌いな人が、虫がたくさんいるような、たとえばジャングルとかに行っても、その虫嫌いな人は嫌だなーって、ストレスを感じるよね。虫なんていなければいいのにと思うかもしれない。じゃあ悪いのは虫?全ての虫を殺すような薬でも開発すればいい?
でもその前に、虫嫌いを克服すればさ、ジャングルへ行っても多くのストレスは感じないはずだよね。問題の根本ってさ、虫じゃなくて考え方で、その考え方を少しずつ変えていくことで生きやすく、過ごしやすくなるんじゃないかな」と。


私も虫嫌いを克服している最中なのです。
不登校になったり、小児うつになったり、今まで自分には色々とうまくいかないことが多くありました。でもそれは学校や社会のせいじゃない。自分の考え方を変えれば生きやすく、過ごしやすくなれるのではと思い、精神科やカウンセリングに通っています。
自分は病院へ行き、先生と話して「あなたはきっとよくなるよ。そのために僕に時間をちょうだいね」と言ってもらっています。カウンセリングで「よくできたね。次はこう考えるようにしたらもっと楽になるんじゃないかな」とアドバイスをもらっています。


病院やカウンセリングとか、そんなんを使っていくまでもなくても、「まわりじゃなくて自分を変える」っていう方法はありだと思うんだよな。
「自分が変わったらもう自分でなくなるのでは」って思うかもしれないけど、……っていうか自分も思ったことあるけど、何があろうとどういう性格になろうと、生きやすければそれでいいし、何があろうとどうであろうと自分は自分、あなたはあなただと思うの。そう思ってくれる人もいると思うの。

なにを書けばいい

ネットを見ると、テレビやアニメの話や動画サイトの有名人の話など、自分にはついていけなくなってしまっている話題が飛び交い、よく誰かと会う約束をしている人や日常をありのままにしている人など、眩しい日々を過ごしている人が映る。
現実を見ると、ずっとずっと狭い1軒の家で過ごし、数週間に一度病院に行くしかしない日々が待っている自分がいる。自分を責める気持ちをを「自宅療養中だから」という言葉でなだめられ、誰もいない昼下がりに犬と一緒に寝転がり、天井を見る。
ネットでの繋がりを留めるため、少しでも楽しく過ごすためにネットを見るが、自分から何を発信すればいいのかがわからない。一日中家で過ごしているので、変化のない毎日で書くことなどそんなにない。
自分の思ったことを書けばまたやんわりと批判される気がする。精神科に通う自分の発言は嫌われないか?以前と違う発言に不信感を抱かないか?馬鹿にされないか?そんなことを思い、ネット上で発現する回数が少なくなった。
少し前に自分と少し似た悩みがある人と会話し、話せたことに嬉しさを覚えたが、みんながみんな、あの人のように理解してくれるとは限らないだろう。

なんか書いたけどタイトルに困るよね。だーっと書いてエンターキー押して、あとはもうしーらない。

知り合いになった人に、随分しんどい思いをしたり、心が沈んで病院に行ったりしていた人がいる。1人や2人じゃない数いる。結構いる。意外といる。
みんな全然そんな過去は見えなくて、その中には今を明るく過ごしている人がたくさん。
私がしんどい時には色んな人が心配してくれて、辛かった過去を話してくれた人がいた。
そんな中で少し思ったことがある。


頼っていいんです。
ということ。
なんとなく、何人かの人を思い浮かべながら言ってます。


私は、母に頼ることができました。
外に出て病院へ踏み出すことはできました。
カウンセリングに行ってカウンセラーに話すことができました。
親が出す、病院やカウンセリングの費用のことを考えて自分のことを責めずにいられてます。
何人かに、自分のことを話すことができました。
何人か、自分のことを私に話してくれる人がいました。
人によっては、こんなこと普通のことに思うこともあるかもしれません。
でも私にとっては、少し前と比べるとすごい進歩です。
人と比べても仕方ありません。
そう思うようにしています。


いえーい。