無題2

数少ない、私の地元の友人が働き出した。
また、同い年の友人も卒業後の職を見据えて学校に行った。
まわりは仕事という未来を見据えつつ歩んでいく。
同い年の、そして自分と近しい人の行動を見て、私は焦ってしまった。

私は、人と会ったときに、何をどうしていいか涙がでるほどに考えてしまったり
何かをするときに体を壊してしまうくらいまで頑張ってしまったりしている。

こんな私が先を見るのはまだ早い。
歩くこともできないのに、とても長い長い距離を走りたがっている幼児のよう。
みんなができていることを、自分はできていないみたい。
みんながしないでもいいことを、自分は必要以上にしているみたい。
まずはどんなに自堕落な生活だとしても、
不安になってばかりの生活から抜け出すことが必要。
でも、そんな生活は小学生の時から続いている。
時々、自分はずっとこのままなのではないかと考えて絶望する。


3リットルほどの涙と引き換えに、
このよくわからない漠然とした不安感を消し去ってもらえないでしょうか。
この厄介な不安感と、私は10年ほど付き合っているんです。
いい加減、お別れしたいのですが、駄目でしょうか。
もう、私は駄目なのでしょうか。

無題

生きることを放棄したくなったら未来に希望なんか持てなくて、
ドブ水に入ったままでいいやと諦めてたらいつまでたってもドブに入ったまま。
この先どうなるかわからないけど、
良い人生歩んでいって長生きしたら、素敵なおばあちゃんになれるはず。
いつか素敵なおばあちゃんになります。生き続けます。

わたしのこころの黄色信号

自分の精神状態を把握して、生活していくうちにその状態が少しでも危ないなと思ったら
精神状態をいい方向に持っていくように努める練習をしなければね。
黄色信号が出たら気をつけなきゃいけないね。少しでもいい状態にしていこう。
という話を知人とした。


そして今、少し精神状態がそんなによろしくないのだけど
今の状態から軌道修正していい方向に持って行こうという気持ちになれない。
むしろこのまま悪化させて
そして誰かに気付いてもらって「大丈夫?」の一声でもかけてもらいたい気分。
どうせ自分は欠点だらけなのだから
病人として扱われて、私の駄目っぷりを隠したい。
そう考えてしまう私を叱ってください。

やることなすこと中途半端

かばんを作るために裁縫を始めました。
物語を作っている人の頭のなかが気になって
『ミステリーの書き方』など、物語を作る人用の本を買い、読み始めました。
気になる小説があったので、本を買い、読み始めました。
webに興味を持ち、プログラミングを始めようとPHPなどをインストールしました。


と、最近いろんな事に手を出していますが、同じ作業を続けられなくて
どれもが中途半端で、どれもやっていないのと大差ないです。
何かに長けている人に憧れますが、そこまでの努力をしようとしない自分。
以前に比べて集中できる時間が短くなったように思います。なぜなのでしょうね。
ここ数日はびっくりするくらい頭が混乱してて
天井を見つめるだけで時がたってしまいます。
三日坊主どころか、何もしてない。

言いたいことなんてない。

多少の気分の浮き沈みはあれど元気です。
はい。今回の記事のメインは言い終わりました。
「作者の最も伝えたかったことは何でしょう。次から選べ」で答えになるやつです。
言い終わったので私は寝ます。
それではさようなら。
というわけにはいかない。
それでいこうとも思ったけど、Twitterでメインに活動している私としては
「それ140文字以下だからそっちでやれよ」感が出てしまうのです。
だれも思わないかもしれませんが、私がそう思ってしまうのです。
ということで、ブログ書きます。


最近日記をはじめましてね。
このブログも日記みたいなものですが
それとは別に大学ノートに数行書くという作業をはじめました。
書くのは主に体調のことで、病院で答えやすいようになんですけどね。
このブログも
「日記って読まれることを前提としていませんよね。そういうことです。」
とか紹介しながら、読まれることはバリバリ前提にしてるんですよね。
見られるって怖い。
見られることを気にしすぎとかプライド捨てようとか同じ人から数度言われたのですが
私にも自覚はあって、でもそれを直す方法がわからないのですね。


最近病院を変えて、日記書いて、それを通して色んなことを自覚し始めて、
ちょっとは自分も変わってきたのかなと思ったのですが
本当に「ちょっと」です。微々たるもんです。
っていうかさっきからタイプミスが多すぎるんですが、パソコン触ってなさすぎですかね。
タイピングというものをしていないからですかね。
ちょっとアウトプットしようと思ったけど
手がもたもたして思考と手が追いつかなくて断念したという回数これまでに2回。
ようやく私はブログを書いてます。
ええ。ブログを書きました。
今回言いたかったこと、これかもしれん。「ブログ書きました」や。
あれ、冒頭に言ったことと違う。


さて、このブログ記事で灰原が伝えたかったことは何でしょう。答えはCMの後!
(ここから一生CMが流れる。)

親しげな会話

姉が楽しげに電話しているのを横で聞いていて、私はすごく羨ましいと思った。私の直ぐ側で電話をしているので相手の声も少しだけ漏れて聞こえるのだが、相手は男性らしい。姉は相手には敬語であるが、親しげに話をしていた。姉は現状報告や相談などをしており、相手はそれについて色々とアドバイスしているようだった。そういったやりとりを聞き、数十分の電話の時間をずっと羨ましい羨ましいと思っていて、電話を終えた姉に私が相手の人のことを「いい人そうだね」と言ったら、姉は面倒くさそうに「話長いねん」と言った。あの楽しそうな電話は嘘らしかった。
なんだろうな。自分は話す相手すらいないから、その姉の一言にものすごくもやもやしたのだけど、実際学校などへ行ってなんやかんやと過ごしていたら裏表使い分けることも必要になってくるんだろう。実際私もちょっと前はそういうことをしてきた。でも親しげに楽しそうに、自分のことで色々と考えてくれている人がいるのに腹の中では面倒だと思っていたことにちょっと残念な気持ちになった。
多分、無い物ねだりなんだろう。私には今、話す相手すらいないからこう思うんだろう。いや、決して無い物ねだりなんかじゃないし話す相手もいるんだけど、自分から誘うのが怖いから、無い物ねだりということにしてるんだろう。
Skypeを使い始めてから自分で誘ったことなんて数えるほどしかないし、その数えるほどでさえ、Twitterで相手の様子をうかがい、なんとなくお互い近づいていって、結果「話そう」と切り出したのがたまたま私であっただけ。顔を見かけたらすぐ「よっ!時間空いてる?」と元気よく話しかける、みたいなことができないのだ。
姉を羨ましいと思ったんだけど、あの感じを私もしたいと思ったんだけど、時々話す気分になれないのはなんでだろうな。